宮崎勤被告に死刑判決

まず、有罪は当然でしょう。
事件の異常性と公判での奇矯な言動から責任能力が争点になり、精神鑑定が行われたわけだが、3通りの結果が出る始末。
物的証拠の鑑定と異なり、第三者が科学的に検証できないから、こういうことになるのだろう。
私は、捜査網を掻い潜るような手口から判断して、犯行当時に「心神喪失」とか「心神耗弱」と呼ばれる状態ではなかったと考えている。
そもそも「是非弁別ができなければ無罪」というのも釈然としないが、これは現在の法律の枠を越えた議論になってしまうので、また別の機会にでも言及したい。


死刑判決も妥当でしょう。
現在の「無期懲役」では、これだけの重大犯罪を犯し、なおかつ反省の色も見せない者でも、いずれ再び社会に復帰することになる。 社会的リスクを考えれば、とても許容できるものではない。
そうした観点から、私は死刑廃止には反対(即ち死刑存続派)である。


死刑廃止論者は「死刑は残酷」などというが、加害者は殺人という残酷なことをしたからこそ裁かれるのである。 彼らの博愛精神は、まず加害者と犯罪予備軍の改心に注いでもらいたい。
本当の意味での「終身刑」が導入されるなら一考するが、囚人を収監するということは、社会が養うということである。 それに掛かる費用(食費・光熱費・医療費、官吏の人件費など)は、死刑廃止論者だけで賄って欲しいものだ。