童謡「赤い靴」のルーツ

真紅?真紅じゃないか!?

…ふざけてはいかんね。
これは留寿都村役場に隣接する、小さな公園にあるブロンズ像。
「赤い靴」にはモデルが実在したことが、血縁者からの名乗り出によって分かっている。
明治末期に北海道に入植した人の娘さんで、当時乳幼児だった彼女は、北海道の厳しい環境に配慮した親や養父の計らいで、函館の外人宣教師に預けられた。それが親子の永遠の別れになってしまったのだそうだ。
母親は、娘が宣教師と共に異国に渡ってしまったものと思い込み、そのことを夫の知り合いだった野口雨情氏に話したことから、この物悲しい詩が生まれたという。

実際は病弱だったため渡航することなく、東京・麻布の施設で9年間の短い生涯を終えた。
歌詞は事実とは異なるが、悲しい出来事には違いない…。