地上(波)デジタル放送への移行はスムースに進むのか?(2)

明日(正確には今日)、いよいよ地上デジタル放送が全国で観られるようになる。 関東圏では放送大学のデジタル本放送が始まることになっている。
全国といっても、まだ県庁所在地とその周辺に限ってしか視聴できない地域も多いが、エポックメイキングな出来事ではあるだろう。
私は以前、同じテーマでエントリを書いたことがある(地上波デジタル放送への移行はスムースに進むのか? - しまうま技研)が、これを機にこの事を再検証してみようと思う。


現行アナログ放送の廃止については、悲観的・・・というより否定的な意見を持つ人たちがいる。

部分的には賛同できるところもあるが、これらの意見に共通するのは「サイマル放送を維持するコストを誰が負担するのか?」という視点が欠落している事である。
現行放送は、一部の中継や古いコンテンツを扱う番組を除いて、大半がデジタル規格で制作されるようになった。
アナログ放送では、それをダウンコンバートして送出しているわけだが、いかにソースが共通とはいえ、それには相応の手間が掛かっている筈である。
また今のサイマル放送は地デジ視聴者にとって(微々たるものだが)デメリットがある。 テロップが4:3画面でカットされないよう、中央寄りに表示しなければならないため、これを16:9ワイド画面で見ると少々不自然に見えてしまうのだ。
それに現時点では、16:9画面で制作されたコンテンツをレターボックスで送出する局が殆どだが、そうした場合、悪名高い「スーパー額縁状態」になってしまう。


送出側にも、既に地デジに移行した視聴者にとってもあまり嬉しくないサイマル放送だが、これはもちろん、移行のためのステップとして行っているものである。
そしてこのサイマル放送を継続するということは、デジタル放送設備と共に、老朽化するアナログ放送設備をも保守・交換していかなければならない事を意味する。 その負担は、直接的には放送事業者が負うことになるのだろうが、最終的にはスポンサーを通して、受益者たる我々一般消費者に転嫁されることになるだろう。 果たして、本当にそれでいいのだろうか?
「そんなこと、放送関係者だけで考えろ、以上」と斬り捨てるのは、少なくとも評論家の姿勢ではないだろう。
実際に我々が負担する事になるとしても、その額は微々たるものになるだろう。 私自身は、実はどちらでも構わないと考えているが、出来ればその負担はサイマル放送存続派だけで賄って貰いたい、というのが本音である。


では、そもそもデジタル放送など始めなければ良かったのだろうか?
「テレビなど、ただ映像が映ればよい」と考える人にとっては、地デジは確かにオーバースペックな代物だろう。
しかし50年以上も続いた現行NTSC方式は、既にカラー化・音声多重・文字多重・クリアビジョン化といった高機能化をほぼ全てやり終えてしまい、これ以上の高機能化は見込めない。 その方式をいつまで後生大事に使い続ければいいのだろうか?
音声多重化が始まった当初は、私ですら「TVがステレオなんて勿体無い」と思ったものだ。 それが今では当たり前になり、たまにモノラル音声のコンテンツを観ると、もの足りなさを感じる。 TVのデジタル化も同様で、今後の事を考えれば遅かれ早かれ実施しなければならないものだ。 ただそれに下位互換性がない事が、いろいろと叩かれる原因になっている。


しかし本当に良いものなら、短期間での移行は不可能ではないと思う。 CDが発売された当初、プレーヤーは17万円近くもし、アルバムもレコードより割高だった。 その上、当然ながらレコードとの互換性は全くなし。 それでも発売から5年ほどで売上高を逆転できたのは、音質と使い勝手がレコードに勝っていたからだ。 その時も「アナログレコードの方が音がまろやかで、CDは冷たい音」という、否定的な意見があった。 私には、デジタル放送に否定的な人たちの意見が同種のものに思えてならない。


もうひとつ、インターネットの驚異的な普及も、私がデジタル放送の普及に楽観的な理由のひとつになっている。
今、ネットを当たり前のように使っているアナタ、10年前にインターネットを知ってましたか? PCをオタクのオモチャと冷笑してはいませんでしたか?
一般の人は、何かが一旦流行りだすと簡単に宗旨を変えてしまうんで怖い。 「オタク、きんも〜っ☆」とか言ってた人が、メイド喫茶の行列に並んでしまうご時世だ。 地デジだって、遠からず当たり前になる時代が来ると思う。


最後に、地デジ普及の目標や予想等に関するURLをご紹介して、本稿の結びとさせて戴きます。