「分からない」と言われたtrue tearsの今

先月書いたエントリに、先週土曜日「カトゆー家断絶」さんとこからリンクが張られました。

「true tears」が「いまいち分からない」と言われる理由
不思議と分からない今が楽しいという状況。

カトゆー家断絶(日記 2008年2月分)

コメントが付いていたせいか、あれだけ膨大な情報の中から当ブログを読みに来て下さった方が多くいて、まずは有難いことでございまする。
ひとこと申し添えますと、あの時の気分はむしろ「期待してるよ」って感じでした。 それは今も変わりませんが。


さて、今まさに第6話がチバテレビで放映されている(はずの)本作、全13話の作品なので構成的にはちょうど中盤のヤマ場に差し掛かっているわけですが、当初言われた「分からない」感はどれだけ払拭されたのか、振り返って検証してみようと思います。


まず、一番の元凶(笑)と思しき「石動乃絵」。
相変わらず謎めいた「アブラムシの歌」を口ずさむものの、突飛な行動が減ってだいぶマトモな分かりやすいキャラになってきました。 「涙をあげちゃった」経緯についても、第4話で明かされましたし。
ただ、眞一郎はそれを「子供の思い込みが、そのまま暗示になった」と理解したようですが、それだけでは説得力に欠ける気が…。 それに、大好きなおばあちゃんがせっかく天空に持って行ってくれた涙なのに、それを取り戻そうとする理由が「いつしか、私も泣きたいって思うようになった」だけというのも、ちょっと納得がいきません。 「泣きたいって思う」のは何故か? そこら辺に、まだ明かされていない事情がありそうですが…。
一部では、眞一郎が乃絵を背負った時に「お前…軽いな」と言ったことなどから乃絵不治の病説が唱えられたりもしてますが、現時点であまり深読みすると大ゴケしそうなので、私は判断を保留します。(でも、彼のあのセリフはやはり何かの伏線なのだろうと思ってはいますが)
雷轟丸の墓標を地面に立てず金網に括りつけたのは、その方が天空に近いから?
眞一郎への木の実プレゼント攻撃は、手弁当(天空の食事その2)へ切り替えるための戦略?
第2話のぱんつシーンに至っては、視聴者サービス以上の意味を見出せませんorz...


次、仲上家では「いつも小さくなって」謝ってばかりいる「湯浅比呂美」。
それが何故だったかについてはもう、第6話で一応答えが出たと考えてよいでしょう。 事実かどうかは別として。
眞一郎に想いを寄せているのに「蛍川の4番が好き」と言ったのは、当然、朋与のお節介を躱すための方便だろうと。 それが思いもよらず眞一郎の耳に入ってしまったことは、彼女の苦悩を深め、同時に物語の展開に広がりを持たせることにつながっていくわけです。
第1話の「縞パン事件」は、仲上家での彼女の立場の弱さ(=何かあるとすぐ謝ってしまう)を印象付けるためのもの(+視聴者サービス)でしょう。 その翌朝、眞一郎視点で彼女の服が一瞬透けて見える描写があります。 これについて言及したエントリを読んだことがありますが、正直、ピンと来ませんでした。
思春期の男子ですから煩悩が108以上あっても不思議ではありませんが、彼は三代吉と同様に気持ちのいい男ですし、絵本作家を目指しているくらいですから、自身でも「純粋でありたい」と思っていそうです。
ですからあのシーンは、眞一郎が比呂美に対して抱いている恋愛感情を、やや俗っぽく映像化したもの…今のところ、私はそう解釈しています。


そして、眞一郎を巡る恋愛レースでは周回遅れの感がある「安藤愛子」。
彼女は最初から分かりやすいキャラでした。 内心では眞一郎に惹かれているものの、比呂美の想いに気付いて一歩身を引いていたことが第3話から読み取れます。
では何故、制作者は乃絵と比呂美に加えて愛子までもレースに参戦させたのか。 それは多分、彼女を通して、眞一郎と三代吉の葛藤を描こうとしているからではないか、と私は考えるのであります。


…まだ未消化の伏線もありますが、だいぶ見通しが良くなったのではありますまいか?