拙著エントリ「秒速5センチメートル」へのコメントについて

先月は殆ど放置状態だった当ブログに、珍しくコメントが寄せられた。

私は友人とこの映画をDVDでレンタルしてみましたけど、友人は「非常に童貞くさい映画」と言ってました。

2007-06-29 - しまうま技研

いきなりコレで、かなりがっかりしたけどね。


文学作品ならテーマや文章表現で評価されるけれど、映画と同様、総合芸術であるアニメでは、それに映像(構図や色彩、動きなど)や音(音楽だけでなく、声優の演技や効果音も含む)という要素が加わる。 新海作品の持ち味のひとつは丁寧に描かれた背景にあるのだが、その点についてコメントでは言及がなかった。 私が

感性をもっと磨くといいと思うよ。

と書いたのは、この傑出した映像の良さが分からないなら、映像作品全般について語るには感性が足りないんじゃないかと思ったからだ。
あと、「ラッセンっぽいところが高評価されてる」と書いているが、それは誤読。 もう一度、本文を読み返して欲しい。


次に、コメント氏とその周囲の人々の「評価」について。
私と違ってストーリー(というか、プロット)やキャラに主軸を置いて「評価」している。 先に述べたように、それ以外にも目を向けて欲しいところだが、それはまあいい。 しかし「非常に童貞くさい映画」とか「みみっちい主人公だな〜」という感想、これは詰まるところ「好き嫌い」に根ざしたものだろう。
例えばこれが「映像がテーマに合っていない」とか「キャラの心理描写が拙い」といった意見ならある程度客観的に検証可能だけど、これでは「あ、この映画は合わないな」という思いから出たネガティブな意見にしか思えない。 作品の評価って、自分の嗜好に合致してるかどうかで決まってしまうものだろうか? 嗜好に左右されるものは、評価とは分けて考えるべきではないのか? このことに関しては、以前にエントリを書いた。

コメントでは太宰治も引き合いに出しているから言うが、彼の作品は死後かなり経過した現在でも読み継がれているという意味で「評価」されていると思う。 命日には墓参に訪れる熱心なファンもいるようだし。 彼のナルシシズムについては、確かに好みが分かれるところであろうが。


秒速5センチメートル」、私はこれを「思春期の悲恋を、それに相応しい映像で描いた作品」として捉えているが、「童貞くさい映画」に見える人は、このプロット自体が「純粋すぎて嘘臭い話」に思えてしまうんだろう。 それは人それぞれの経験や価値観によるけれど、所詮「好き嫌い」の次元の話であって、好みの違う相手にはまず伝わらないことは自覚した方がいい。
それを踏まえて言うが、私は他人が「合わない」というものを無理に勧めるつもりは全くない。 だから「これキライ」と言われても、「はぁそうですか」としか答えられない。
それにしても、わざわざ他所のコメント欄を使って「自分に合わないモノの評判が良いのは気に入らない」という心理が透けて見える意見を表明するのは、どうかと思うけどね。