維新の志士の集合写真はイワクつきの代物でした…
去年、臼田の巨大パラボラアンテナを見学したあと立ち寄った道の駅で出会った維新の志士たち。
これがどうやら本物ではないらしいので、ご報告。
この写真を初めて見たとき、凄いなと思う一方で「果たして本物なのだろうか?」という疑問が払拭できず、エントリに書いた後も半信半疑でした。
理由のひとつは、ほとんど反響がないこと。 本物ならば第一級の歴史資料であるはずで、テレビで度々紹介されるだけでなく教科書にだって載るでしょう。 それがないということは…。
ただ、もし発見されたばかりだったとしたら、話題になるまで時間が掛かるということは考えられますが。
写真を撮影した合理性・必然性が乏しいことも問題。
龍馬をはじめとして、佐幕派から命を狙われていた人々がこれだけ大勢、ひとところに集まるなんて極めて危険ですし、そんな状況で「記念写真」を撮るのは、冷静に考えるととても不自然です。
それに、フルベッキ氏は何で写真中央に納まっているのでしょうか? 志士の中心にいるくらいなら、明治維新の立役者として何がしかのエピソードが伝わっていそうなものですけど…。
疑問が確信に変わったのは、昨年NHKで放送された「歴史秘話ヒストリア」を見てからですね。 西郷隆盛を取り上げた回で、彼の写真は現存しないと言い切っていましたから。
改めて調べてみると、Wikipediaにもこれが全く別の記念写真であるという記述があります。
「フルベッキ写真」とは、フルベッキとその次女・エマ(夭逝した長女と同名)を囲んで、致遠館の塾生と岩倉具定・具経兄弟などが集まり、写真師上野彦馬によって撮影された写真。現在の研究では、撮影時期は1868年12月(明治元年10月-11月)頃とほぼ特定されている。
この写真は古くから知られており、1895年(明治28年)には雑誌『太陽』で佐賀の学生達の集合写真として紹介された。その後、1907年(明治40年)に発行された『開国五十年史』(大隈重信監修)にも「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」とのタイトルで掲載されている。
グイド・フルベッキ - Wikipedia
記事の関連リンクは作者がはっきりせず信憑性にやや難がありますが、坂本龍馬記念館公式サイトでもはっきりと「ウソ」と明記されているので、これはもう、どう好意的に解釈しても「間違い」であることは確定のようです。
この写真はかなり出まわっており、中にはかなりの代価を払って求められた方もあるようですが、書かれている人物の名前も、フルベッキ博士とその子供さん以外は、全部「ウソ」です。つまり、後代の人がそっくりさん写真にしてしまって、もっともらしいいわれをつけたものです。
http://www.ryoma-kinenkan.jp/study/qa/other/post-109.php
フルベッキ親子以外全部「ウソ」というのは少々言い過ぎで、岩倉具定・具経兄弟、中野健明・江副廉蔵も本人らしいですが。
本件に関しては、こんな意見もあります。
こういう商品をだまされて購入する人は自己責任で仕方がないこととは思うが、はっきり
いって「幕末・維新に活躍したメンバーが一同に会した集合写真」と信じて購入する人は
馬鹿としかいいようがない。自民党の政治家の某氏とか、某企業の社長とかがこれを信じて、第三者に自慢、吹聴して
http://morishige.omlog.net/archives/1048
いる人もいるが、自分の無知、馬鹿を宣伝しているようで、滑稽なことですよね。(爆笑)
スポーツ紙に広告と並んで載っていたら私も疑ってかかりますが、公共施設で商売っ気抜きに解説されていたら、少々おかしいと思っても専門家でない限り、贋作だと断言するのは難しいと思うのです。
さて、このことは雷電記念館に教えてあげるべきなのでしょうね…。